4代目立浪弥右衛門
 平成11年2月、元関脇安念山改め2代目羽黒山の立浪親方が定年を迎え、娘婿で大島部屋の元小結旭豊が引退して7代目立浪を襲名して、名門立浪部屋を継承することになった。
立浪部屋は明治末期から大正初期にかけて活躍した伊勢ノ海系春日山部屋の小結緑嶋が、大正4年に引退して4代目立浪となり、両国に部屋を創設した。最初は小部屋として苦労を重ねたが、"打倒出羽海"を目標に部屋の興隆に努め、昭和10年代になって双葉山、羽黒山、名寄岩の"立浪三羽烏"をはじめ多数の関取衆を輩出、師匠は相撲協会取締役となり一躍大部屋とした。


5代目立浪政司


6代目立浪治
戦後は横綱羽黒山が二枚鑑札で後を継ぎ、引退後5代目立浪となって、昭和30年代には、時津山、北の洋、岩羽黒、安念山の"立浪四天王"が大活躍、大いに土俵を沸かせた。
その後安念山改め2代目羽黒山の追手風が6代目を継ぎ、若浪、羽黒岩、旭國、黒姫山、双羽黒らを育てが、一時は関取皆無となった。しかし大翔山(現追手風)が日大から入門して以後再び活気が戻り、大翔鳳、智乃花らが続いた。

部屋からは、これまでも行司19代式守伊之助(髭の伊之助)、27代木村庄之助が出ており、現在も三役格の木村庄三郎、幕内格木村城之介、十両格木村雅之助がいる。また床山に床光、床辰がいる。


7代目立浪耐治
 新たに7代目を継承した旭豊は愛知県出身、大島部屋所属で最高位は小結。昭和62年春場所初土俵、平成7年春場所入幕、190センチ、136キロ、左四つ、上手投げ、内無双を得意とし、殊勲賞と技能賞を各1回受賞した。