昭和51年春場所"チビッ子ギャング"と言われた小兵力士が活躍。鷲羽山が殊勲賞、北瀬海が敢闘賞、旭國が技能賞を受賞した。
春場所13勝2敗で好成績を挙げた関脇・旭國は場所後の春番付会議で立浪部屋から5人目の大関に昇進した。
昭和44年名古屋場所旭國と同時入幕した黒姫山も大活躍。昭和49年初場所から50年春場所まで連続8場所三役を務めた。
戸田改め羽黒岩は幕内上位で活躍、昭和48年夏場所には小結に昇進した。
昭和52年九州場所、23代伊之助(本名・熊谷宗吉)が27代木村庄之助を襲名、その襲名披露パーティーが翌53年1月行われた。



昭和52年名古屋場所新入幕を果たした岩下はその後照の山、岩波と改め押しを武器に活躍した。

昭和49年初場所行司抜擢制度により式守伊之助に、52年九州場所から庄之助に昇格した27代木村庄之助は、以後定年になるまで16年間の長きにわたって立行司を務めた。
羽黒岩は昭和53年初場所限り引退、同年5月年寄雷襲名披露大相撲が行われた。板東立浪部屋後援会長とともに土俵上から挨拶。

三役、三勝の常連として活躍した黒姫山は昭和53年九州場所、3回目の敢闘賞を受賞した。左は技能賞の青葉山、中央は殊勲賞の麒麟児。

元関脇黒姫山は昭和57年初場所限り引退、年寄錦島を襲名することとなり、師匠立浪親方と記者会見に臨んだ。



昭和
45年1月 黒姫山敢闘賞受賞。
45年2月 立浪親方が理事、教習所長に就任。
46年11月 黒姫山敢闘賞受賞。
47年2月 元北ノ洋の武隈親方が監事に就任。
47年3月 若浪引退大鳴戸襲名。
47年9月 旭國技能賞受賞。
48年11月 黒姫山敢闘賞受賞。
49年2月 立浪理事が名古屋場所担当部長に。
49年3月 旭國技能賞受賞。
50年5月 旭國技能賞受賞。
50年7月 旭國技能賞受賞。
51年1月 旭國敢闘賞受賞。
51年2月 立浪理事が相撲教習所長に。
元清恵波の中川親方が監事に就任。
51年3月 旭國技能賞受賞。場所後大関に昇進。
52年5月 黒姫山殊勲賞受賞。
52年7月 岩下入幕。
53年2月 立浪理事が大阪場所担当部長に。
武隈が理事、生活指導部長に。
53年11月 黒姫山敢闘賞受賞。
54年1月 黒姫山殊勲賞受賞。
54年3月 黒姫山殊勲賞受賞。
54年9月 大関旭國引退大島襲名。
57年1月 黒姫山引退錦島襲名。
57年11月 十両岩波、翠竜が陥落して関取零となる。
(58年3月翠竜再十両、 しかし一場所で落ち、58年11月まで関取なし)
59年1月 北尾十両昇進。
59年9月 北尾入幕。
59年11月 北尾殊勲賞受賞。
60年1月 北尾殊勲賞受賞。
60年3月 北尾殊勲賞受賞。
60年7月 北尾殊勲賞、技能賞受賞。
60年9月 北尾殊勲賞受賞。
60年11月 北尾殊勲賞受賞、場所後大関に昇進。
61年7月 場所後北尾改め双羽黒が横綱昇進。
62年12月 横綱双羽黒廃業。
63年1月 元北ノ洋の武隈定年退職。
63年3月 十両北吹雪陥落。関取零となる。
63年6月 元清恵波の中川定年退職。
平成
元年1月 大翔山新十両。
2年2月 元若浪の玉垣監事に就任。
2年9月 大翔山入幕。
2年10月 八階建てマンション併設の新立浪部屋新築落成、土俵開き。
3年7月 大翔鳳入幕。
4年1月 立洸入幕。
4年9月 大翔鳳敢闘賞受賞。
5年1月 大翔山敢闘賞受賞。
5年7月 智ノ花入幕。
5年9月 智ノ花技能賞受賞。
5年11月 智ノ花技能賞受賞。
6年2月 立浪親方還暦。
7年1月 大翔鳳敢闘賞受賞。
7年4月 大島部屋の幕内旭豊が立浪親方の長女幸世と結婚、婿入りして安念姓となり、立浪定年後の後継者に決まる。
9年1月 立浪親方が多年にわたり大相撲の向上発展に尽くした功績により文部大臣からスポーツ 功労者として顕彰される。
10年2月 役員改選で立浪親方が理事の任期満了、役員待遇となる。元黒姫山の武隈が監事に就任。
11年1月 初場所12日目旭豊引退、準年寄に。
11年2月 立浪親方定年退職。
元小結で、準年寄旭豊、立浪を襲名して部屋を継承。

 




平成2年2月、元小結若浪の玉垣親方が監事に就任。
左は高砂新理事、中央は二子山理事長。
昭和61年名古屋場所後、北尾改め双羽黒は60代横綱に昇進した。双羽黒の不知火型の土俵入り。太刀持ち旭富士、露払い魁輝、行司は28代木村庄之助。

昭和62年秋巡業の折、4横綱勢揃い。左から双羽黒、北勝海、大乃国、千代の富士。




日大卒業後、高校教師をしていた元アマチュア横綱の成松が立浪部屋に入門、平成4年春場所、幕下付出しとして初土俵を踏んだ。

山崎に続いて平成2年初場所村田が日大から入門、幕下付出となり、翌3年初場所十両に昇進。大翔鳳と改名した。

山崎、村田に続いて日大OBで高校教師だった成松が27歳で、平成4年春場所幕下からスタート、同年九州場所十両に昇進、智ノ花と改名した。

智ノ花は日大で後輩、プロでは先輩に当たる舞の海とともに小兵技能派力士として大活躍、平成5年秋場所両者そろって技能賞を受賞した。左は敢闘賞の久島海(殊勲賞は該当者なし)。

平成元年初場所日本大学相撲部から入門、幕下付出でスタートした山崎は大翔山と改め、平成3年初場所十両に昇進した。

19代髭の伊之助の最後の弟子に当たる行司木村庄三郎が、平成7年初場所から三役格に昇格した。


昭和
45年1月 黒姫山敢闘賞受賞。
45年2月 立浪親方が理事、教習所長に就任。
46年11月 黒姫山敢闘賞受賞。
47年2月 元北ノ洋の武隈親方が監事に就任。
47年3月 若浪引退大鳴戸襲名。
47年9月 旭國技能賞受賞。
48年11月 黒姫山敢闘賞受賞。
49年2月 立浪理事が名古屋場所担当部長に。
49年3月 旭國技能賞受賞。
50年5月 旭國技能賞受賞。
50年7月 旭國技能賞受賞。
51年1月 旭國敢闘賞受賞。
51年2月 立浪理事が相撲教習所長に。
元清恵波の中川親方が監事に就任。
51年3月 旭國技能賞受賞。場所後大関に昇進。
52年5月 黒姫山殊勲賞受賞。
52年7月 岩下入幕。
53年2月 立浪理事が大阪場所担当部長に。
武隈が理事、生活指導部長に。
53年11月 黒姫山敢闘賞受賞。
54年1月 黒姫山殊勲賞受賞。
54年3月 黒姫山殊勲賞受賞。
54年9月 大関旭國引退大島襲名。
57年1月 黒姫山引退錦島襲名。
57年11月 十両岩波、翠竜が陥落して関取零となる。
(58年3月翠竜再十両、 しかし一場所で落ち、58年11月まで関取なし)
59年1月 北尾十両昇進。
59年9月 北尾入幕。
59年11月 北尾殊勲賞受賞。
60年1月 北尾殊勲賞受賞。
60年3月 北尾殊勲賞受賞。
60年7月 北尾殊勲賞、技能賞受賞。
60年9月 北尾殊勲賞受賞。
60年11月 北尾殊勲賞受賞、場所後大関に昇進。
61年7月 場所後北尾改め双羽黒が横綱昇進。
62年12月 横綱双羽黒廃業。
63年1月 元北ノ洋の武隈定年退職。
63年3月 十両北吹雪陥落。関取零となる。
63年6月 元清恵波の中川定年退職。
平成
元年1月 大翔山新十両。
2年2月 元若浪の玉垣監事に就任。
2年9月 大翔山入幕。
2年10月 八階建てマンション併設の新立浪部屋新築落成、土俵開き。
3年7月 大翔鳳入幕。
4年1月 立洸入幕。
4年9月 大翔鳳敢闘賞受賞。
5年1月 大翔山敢闘賞受賞。
5年7月 智ノ花入幕。
5年9月 智ノ花技能賞受賞。
5年11月 智ノ花技能賞受賞。
6年2月 立浪親方還暦。
7年1月 大翔鳳敢闘賞受賞。
9年1月 立浪親方が多年にわたり大相撲の向上発展に尽くした功績により文部大臣からスポーツ 功労者として顕彰される。
10年2月 役員改選で立浪親方が理事の任期満了、役員待遇となる。元黒姫山の武隈が監事に就任。
11年1月 初場所12日目旭豊引退、準年寄に。
11年2月 立浪親方定年退職。
元小結で、準年寄旭豊、立浪を襲名して部屋を継承。
15年8月 部屋移転、部屋開き。
15年8月 元横綱双羽黒の北尾氏をアドバイザーに迎える。
16年1月 羽黒海引退。相撲協会、世話人となる。